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最高裁判所第二小法廷 平成4年(あ)480号 決定

本籍

京都府綾部市中ノ町二丁目三一番地

住居

京都市東山区大和大路通五条上る山崎町三五二

メイゾン六波羅六〇一号

会社役員

長谷部純夫

昭和七年三月三〇日生

右の者に対する相続税法違反、所得税法違反被告事件について、平成四年三月二三日大阪高等裁判所が言い渡した判決に対し、被告人から上告の申立てがあったので、当裁判所は、次のとおり決定する。

主文

本件上告を棄却する。

理由

弁護人東垣内清及び同戸倉晴美の上告趣意は、事実誤認、単なる法令違反、量刑不当の主張であって、刑訴法四〇五条の上告理由に当たらない。

よって、同法四一四条、三八六条一項三号により、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり決定する。

(裁判長裁判官 中島敏次郎 裁判官 大西勝也 裁判官 根岸重治 裁判官 河合伸一)

平成四年(あ)第四八〇号

上告趣意書

被告人 長谷部純夫

右の者に対する相続税法違反、所得税法違反被告事件の上告趣意は次のとおりである。

平成四年七月一四日

被告人弁護人

弁護士 東垣内清

弁護士 戸倉晴美

最高裁判所第二小法廷 御中

第一点、事実誤認並びに法令違反

一、原審判決には本件違反行為についての税務署の関与の程度について事実の誤認がある。そしてこれは被告人の犯意の認定に影響するが故に重大な事実の誤認である。

原審は、

「大阪国税局及び上京税務署の担当係官が、被告人らの供述するような事柄について承諾を与えた事実はないと認めれる。・・・・・税務当局の右対応は、本件当時同和関係の組織が税務当局に対し強固な発言力をもち、当局側も同和関係組織が代行する申告手続きの内容に関してはできるだけせんさくしないという寛容な態度をとっていたことが原因と思料されるが、被告人らは右のような事情を熟知していたうえ、本件申告に際し、右同和産業名義の内容虚偽の領収書等を作成、利用して高額の架空債務を計上し、過少申告するという社会通念上誰の目にも明らかな不正な手段方法に出ていたのであるから、被告人において、本件のような手段方法による納税申告が正当かつ合法的なものとして法的に認められているとは考えていなかったことは明らかというべき・・・・・同和産業設立について税務当局から何らかの示唆があった疑いがないわけでない。・・・・・」と認定する。

しかし、本件申告方法についての税務署の関与が「何らかの示唆があった疑い」という程度ではなく「指導、承諾」まで認められることは明らかである。

その理由は弁論要旨六項に詳述しているので繰り返さないが、税務署による申告書の作成と「同和減免」率の確定があったこと、有限会社同和産業の設立に税務署の指導があったこと等、そこに引用された証拠に基づき記録を精査されれば明確になるところである。本件架空債務計上等の方法は税務署の指導に基づくものであって、この点で原審判決には重大な事実誤認がある。

二、原審はまた、「ほ脱犯が成立するためには、納税義務の認識、偽りその他不正の行為の認識及び租税を免れること(ほ脱の結果)の認識が必要であるが、不正行為の認識は不正行為に当たる事実を認識すれば足りると解すべきであるから、前記認定の事実に照らすと、被告人が不正行為に当たる事実を認定していたことは明らかである。」

という。

故意の要件として違法性の意識が必要か否かは古くから論じられるところであるが、少なくとも税法違反など行政取締法規の違反が成立するためには、故意の要件として違法性の意識が必要とされる。原審判決が「不正行為の認識は不正行為にあたる事実を認識すれば足りると解すべき」としいてるのは違法性の意識が故意の成立に必要ないという解釈に立つものであり、この点で判決に影響を及ぼすべき法令違反がある。

刑事犯の場合は法律の規定は知らなくとも行為が違法であることだけは意識しているのが通常であろう。この場合は違法性の意識のあるものとし故意の成立がいわれるであろう。しかし法律の規定の不知ないし誤解の結果、行為者が違法性の意識を欠く場合がある。この場合は、違法性の意識が無いのであるから、故意が阻却されるといわねばならない。犯罪事実を認識したとしても、その違法性を意識しなければ行為者は行為に際して法的、道義的な抑制感情に遭遇しなかったはずで、「罪を犯す意」があったものとして非難するに値しないからである。

そして少なくとも行政犯については、違法の認識を欠くときは社会的危険性の微表がみられないとされ、故意を成立されないというべきである。仮に違法性の意識は故意の要件ではないと考えるとしても、違法性の意識を欠く場合には多くの、なんらかの事情がある筈である。その事情のもとでは行為を違法でないと信じるのが、まったく無理もないという場合であれば非難可能性はなくなるべきであり、責任は阻却されるものといわなければならない。

いわゆる「違法性の意識は故意の要件ではないが、違法性の意識の可能性は故意の要件をなす」といわれる考え方である。

ちなみに法制審議会の改正刑法草案によるときは、その二一条〈2〉項は

「自己の行為が法律上許されないものであることを知らないで犯した者は、そのことについて相当の理由があるときはこれを罰しない」と定めている。

最高裁判所は古くから、自然犯たると行政犯たるとを問わず故意の成立には違法の認識を必要としないとするが、(最判昭二四・一一・二八・刑鳥四-一二-二四六三)、しかし、有名な「たぬき・むじな事件」(大判大一四・六・九刑鳥四-三七八)では、「むじな」は狩猟法に捕獲を禁止されている「たぬき」とは別物であると信じて、これを捕獲した場合は、狩猟法の禁止する「たぬき」を捕獲するという認識を欠くものであって犯意を阻却するとする。これは要するに法律の不知の結果、違法性の意識を欠いたことが、無理もない場合は、刑の減軽にとどまらず、本文に述べたように故意が成立しないものと考えているのに他ならない。

本件に即して考えるのに、

判決のいう如く、「本件申告に際し、右同和産業名義の内容虚偽の領収書等を作成、利用して高額の架空債務を計上し、過少申告をするという社会通念上誰の目にも明らかな不正な手段方法に出ていた」ことは法律上許されないことであるとしても、しかし被告人自身は、これを不正行為、すなわち法律上許されない行為であるということを知らないで犯している。そしてそのことについて相当な理由があるのである。

すなわち被告人は同和対策審議会の総理大臣あて答申、旧同和対策事業特別措置法(以下「措置法」という)及び昭和四五年二月一〇日付官総二-六国税庁長官通達(以下「長官通達」という)の趣旨に従い、被告人らが同和会名義で一括代行してきた納税申告方式、すなわち、同和地区住民に対する税負担軽減措置の一環として、従来部落解放同盟(以下「解同」という)に対する関係で公認されてきたのと同様、大阪国税局ないし所轄税務署等の担当官らの指導、了解を得た手段方法によっていたものであり、架空債務計上等の方法も税務署側の行政指導によるものであり、とりわけ、同和産業の設立は、架空債務の領収書等の作成名義人となる受け皿として法人を設立する方法もある旨の指導を受けたことによるものであるから、被告人らは適法と信じており、そう信じるにつき正当な事由があったから、被告人には故意がなかったといわざるを得ない。

第二点 量刑不当

原審判決には被告人に対する量刑が左の点において甚だしく不当であり、これを破棄しなければ著しく正義に反する。

一、前述の如く、原審判決には税務署の関与の程度につき重大な事実の誤認があり、その結果、本件犯行についての税務署側の責任を不問に付して同和会役員である被告人のみを責め、これに実刑を課したことによって量刑は甚だしく不当なものとなった。

同種事件について一九八六年一二月二二日京都地裁判決は、

「国民から負託された職務を放棄、不正な申告を見逃し続けてきた税務当局が刑事、行政上何ら処罰をうけていないのを考慮すると、一人被告人に実刑を科するのは公平を欠く」

として税務行政を厳しく批判し、執行猶予の判決をなした。ましてや本件は税務署の指導、助言、承諾に基づく犯行であったことを考慮するとその量刑が不当であること明らかである。

二、同種事件判決との比較

量刑は裁判官の裁量によるものであるが、それは裁判官の主観的恣意を許すものではなく、客観的な合理性を有するものでなければならないことは勿論である。

量刑は同種事犯に対する一般の量刑状況に照らし、特段の理由もないのに著しく均衡を失するものであってはならないことも科刑上当然の要請である。

本件にいわゆる「税務対策」活動は、全日本同和会が全国的にしていた活動であって、被告人らの京都支部のみでなく、神戸支部、和歌山支部における同種行為も同種税法違反事件として捜査、起訴となり、いずれもすでに同会役員について判決が下されている。しかし、そのいずれも実刑ではなく、その執行を猶予されている。

また同和会以外の同種の脱税事件も同時期に多数判決されているが、いずれも実刑ではない。

被告人が知る限りにおいてはこれら判決の基礎となるべき事実が本件と比較して量刑上特に有利な事情があったものではなく、その比較からすると被告人に対する量刑は甚だしく不当なものである。

これら判決の基礎となるべき事実について現在被告人においてさらに判決を調査中であるが、そのほとんどは裁判所や被告人の氏名らが明らかではなく、調査は難行している。

量刑不当に関する事項は、刑事訴訟法四一一条が具体的正義を実現する趣旨であるところから職権調査事項であり、職権調査をしなかったことが義務違反として違法と評価され得る場合があることが認められている。

しかるときは、原審が特に同じ高裁管内の同種事件の量刑を比較判断せずに被告人を実刑としたことは違法といわざるを得ない。

三、共犯物との比較における量刑の不当

被告人の量刑は共犯者鈴木元動丸との比較においても重きに失するといわねばならない。鈴木は全日本同和会会長であって、原審で控訴棄却の判決を受け、懲役三年の実刑判決が確定した。これに対し被告人は懲役二年六月の実刑判決である。

しかし、原審も認める如く、鈴木と被告人の犯行とは質的もに量的にも異なる。すなわち、鈴木は組織に隠れて領得した不正利益金が一億二三九五万円にも及び、会長としての権限を乱用して組織をほしいままにして利得したのに反し、被告人の行為は、あくまでも組織としての行為である。もとより被告人には組織を自由にする権限もない。

会から得た給料についても鈴木は申告すらしていないのに対し、被告は給与として申告納税をしている。被告人は真面目に本来の同和活動に取り組み会員から感謝され嘆願活動まで受けたにも拘らず、鈴木はそうではない。両者間には、量刑に考慮されるべき前科、前歴にも甚だしい差がある。また鈴木は一件たりとも示談せず、示談をする気持ちを全く持ち合わせていないが、被告人は示談に努め多額の示談金を負担して可能な限り示談を成立させている。

このことが端的に示す如く、反省の態度において両者間には甚だしい差があるといわねばならない。

共犯者鈴木との間に量刑上考慮されるべき事実について、このように甚だしい差があるにも拘らず、その刑期の差はわずか「六月」にすぎない。この差は妥当ではなく、被告人と共犯者鈴木との量刑の間には刑の均衡を欠き公平の点から是認し難い点である。

四、未決勾留日数の算入の程度の不当

刑法二一条による未決勾留日数の本刑算入は当該裁判所の裁量によるものであって、当該事件について通常審理に必要な期間に対応する未決勾留日数を除いて本件に算入されるが、被告人の責に帰すべき事由により勾留期間が延伸した場合にはその分の日数は本刑に算入しない。これが裁判実務における取扱い例になっている。そして未決勾留日数の本計算入の程度を誤った場合、裁量権の乱用として違法の評価を受ける。

本件の場合、これを具体的にみるに、被告人は逮捕以降保釈まで実に二五五日間に及ぶ勾留を受けたが、

昭和六〇年五月二九日に第一回の起訴以降、同年六月一九日、同年八月六日、同年八月二七日、同年一〇月四日、同年一〇月一一日、同年一〇月一四日、同年一〇月一八日、同年一〇月三一日

と八回に亘り追起訴を受けている。

そしてその間にはその追起訴の為の取り調べが続いたのであるが、七月以降の取り調べに要した日は、

七月一〇日間、八月一六日間、九月一四日間、一〇月二五日間、一一月一〇日、一二月・一月中ほとんど取り調べなし

という状況である。

しかるに六〇年一二月二〇日に申請した保釈は却下され、翌一月二四日にやっと保釈が認められて身体的拘束を解かれている。

以上の如く、第一回の起訴の後、昭和六〇年六月二四日から七月一〇日までの被告人の身体的都合による手術期間一六日間はさておくも、保釈までその大部分の勾留は追起訴さらには他の共犯者の捜査の為の捜査に終始し(しかもその最後の二ケ月はその必要もなかった)準備が整えば追起訴されるという状態が続いていた。被告人はこの捜査、取り調べにあたり、特別否認をすることもなく素直に取り調べに応じている。このように捜査の都合で勾留されるというのは、「被告人の責に帰すべき事由」によるものというべきではない。

しかも記録上も明らかな如く被告人の勾留は保釈の直前まで接見禁止があり、単なる勾留とは質が異なり、その苦痛は甚だしいものである。

原審判決がこれら未決勾留日数のうちわずか一〇〇日しか本刑に算入しなかったことは不当な量刑といわねばならない。

五、罰金額の不合理性

罰金の適用に付いては被告人の資産収入、信用、犯罪行為に因り又は犯罪行為の報酬として得たる利益をも参酌すべしといわれている。

本件被告人の場合、結局得たる利益は給料のみであるが(これは不当な利得とはいえないであろう)給料についても収入として税務署に申告済みである二〇〇〇万円の給与中税金六三〇万円余りを納付している。

また全日本同和会に申告手続きを依頼した者は全部修正申告をし、重加算税も含めて支払済であって国、社会には、この点での実質的損害はない。

罰金については被告人の手元に不当な利益を残さないとういう考え方で科刑すべきであるがこの点から考えると被告人には不当な利益はないといわねばならない。

以上

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